2012年8月30日木曜日

開口!

さまざまな手はずが整い、1枚目の天井石を取り外す作業が開始されました。
京都から来た専門の石工たちによって櫓が組まれ、慎重に作業が進められていきます。
1枚目に選ばれた石は東から3枚目の石で、昭和の調査時には既に割れて落ち込んでいたものを、鉄棒3本を用いて修復されて埋め戻されていたものです。

慎重に場所を選び櫓が組み立てられました。

修復用の鉄棒の隙間からベルトを差し込み、取り回します。

石を支えていた鉄棒が見えます。(3本使われていました)

チェーンブロックで地上レベルまで持ち上げ、バタ角と呼ばれる角材を差し込んでその上に置きます。

残りの側も同様に吊り上げ

やはりバタ角の上に置きます。

このあとはコンパネの下に単管を置き、転がしながら移動させていきました。

作業終了後の衆人環視。皆さん石槨内部の様子が気になってしかたない様子。

取り上げた天井石は仮置き場に安置。

2012年8月29日水曜日

トレンチ掘削の開始

墳丘北斜面のT4トレンチの掘削が開始されました。

表土を除去すると転落した葺き石が顔を出し始めます。

土壌サンプリング作業が続いています。
墳丘を崩さずに、キューブ状に切り出すための特殊な器具を用いています。
先の尖った鉄棒と金属枠で構成されています。

手実測作業も継続中

篩作業の成果

昭和の調査坑埋土は全て土嚢に詰め込んで、索道を用い墳丘南裾に下ろしました。
その総数は4000体以上にもなりますが、全てを電動篩機にかけていきます。

土嚢が無限にあるように見えます

篩機1台に付き、最低4名の作業員で対応します。

篩終わった土はキャリーダンプの荷台に広げます。

騒音がかなり出ますがよく考えられたシンプルな機械です。

5ミリメッシュに残った土砂は箕で受け取ります。

粒子の違った2種類の土が出来ます。

荷台の上で遺物をチェックしています
   
最初に発見された土器片

ついにS字甕の口縁部を発見!

2012年8月27日月曜日

手作業

森下先生と学生を中心に、天井石や周辺の石の詳細な出土状況を図化していきます。

レーザー計測とは別に、目視+手作業で図面を補足しています。

墳丘土壌のサンプリング作業が開始されました。
分析結果は調査区の埋め戻しの参考にされるとのことです。

2012年8月23日木曜日

内部

石槨を覆う天井石は7枚です。
昭和の発掘時には石槨の側壁が崩れていたこともあり、水平を保たず不規則に落ち込んでいました。
調査後に側壁を積み直し、天井石がほぼ水平になるように復元されていましたが、一部には隙間が開いていました。
わずか5cm程度の隙間ですが、薄手のコンパクトデジタルカメラで内部の撮影をすることができました。

天井石の隙間からレーザースキャンのように日光が差し込んでいますが、直下の粘土床が水滴によって侵蝕されている様子がわかります。

側壁の極端な孕みや崩落は無いことがわかります。
雨水の浸入も無いようで、粘土床の保存状態もよさそうです。

天井石内面は見事に平面化されています。
現在我々は天井石の上で作業しているので、つい内面を「裏側」などと呼んでしまいますが、この墓の主である大王が目にするこちらがわこそ「表側」です。

積み直しされていない石槨西端側の壁面は赤色顔料もよく残っています。
水銀朱(硫化水銀)とベンガラ(酸化鉄)が使われているようです。

2012年8月22日水曜日

レーザー計測

昭和に復元された天井石の状況を、最新のレーザー機器を用いて計測(走査)しました。
データに欠損が無いように、観測ポイントを移動しながらの計測です。

近年機械の小型化が進み、驚くような大きさです。

天井石を中心に調査区のオルソ画像を撮影しています。

2012年8月21日火曜日

壮観!

天井石の清掃作業が終了し、写真撮影が行われました。
被覆粘土の剥がされた天井石の居並ぶ様子は、昭和の復元とは言え荘厳かつ壮観です。
調査区西端からの俯瞰

まだまだ土篩作業が続けられています

2012年8月20日月曜日

天井石大掃除

しばらくのごぶさたでした。
お盆休み返上で作業が続けられた結果、昭和の調査後、天井石復元と同時に戻されていた被覆粘土の除去がほぼ終了していました。

きれいな酸漿が入手できたので、お供えしてみました。

被覆粘土除去作業の折、石槨内に粘土が落ち込まないように土嚢などで隙間を塞いであります。

粘土除去後、スポンジや束子で天井石をきれいに洗います。

水を流しながら洗浄ができないので、少量の水で何度も洗います。

全員総掛かりでの作業で、乾湿兼用の掃除機も活躍しています。

2012年8月10日金曜日

一区切りの大養生

調査用のセクションベルトの掘削が完了し、あらためて調査区内の清掃を開始。
昭和の被覆粘土と測量杭保護の石材を残した状態で、写真撮影をおこないました。
 
ベルト掘削で新たに増えた土嚢の山!

撮影に備え、丁寧に清掃します。


森先生が来訪され、天井石の石材鑑定や被覆粘土の検討をされました。
赤塚さんも来訪され、感慨深げに調査坑の様子を観察されていました。

調査区保護用の資材を、索道を使って墳丘に運び上げています。

ブルーシートで調査区内を養生した上に角材(長さ6m)で梁を組み
 その上にアルミ製の足場板(長さ4m)を並べ置きます。


足場板40枚で調査坑は閉塞されました。

その上に防水用のシートを広げます。

更にその上にワイヤーを張り、棟を作るようにシートをかけて水を両側に流す算段です。
現在のところ、これでたいていの雨は防ぐことができると思います。


2012年8月9日木曜日

掘削と運搬の日

旧調査坑に設置されていた土層観察用のベルトですが、残っていた南北部分の掘削を開始しました。
 
足元には昭和の封印粘土が露出しているため、コンパネやブルーシートで養生した上で、残った部分を掘削していきます。

学生諸君との共同作業です

調査区保護用の資材を人力で運搬しました。

2012年8月7日火曜日

訪問者集中日

昨日の雷雨の関係か、今日はいくぶん空気が乾いているように感じます。
本日は関係者の来訪が相次ぎ、犬山市の市長さんも見学に来られました。
 
市長さんもたいそう御機嫌うるわしく、調査に興味津々の様子。

京都大学防災研究所三村氏御一行様

犬山市街地から見た東之宮古墳の様子。(ほぼ南正面に相当)
白山平(はくさんびら)の地名の如く、元来ほぼ平坦だった丘陵上に墳丘が突出している様子がよくわかります。完成当時はもちろん墳丘上の樹木も無く、葺き石で覆われた異様な山塊が仰ぎ見られたことでしょう。このような景観も、古墳の存在意義を考える上で考慮されなければなりません。